構成

助教授:横井康平
博士3年:米谷佳晃
博士1年:松原裕樹
修士2年:秋山祐治
学部4年:植木啓介,新田智昭,大橋潤也

研究成果

a.分子シミュレーションにおける結晶構造相転移促進法(米谷佳晃)

分子動力学シミュレーションは物質の種々の性質を調べる有効な手段となりつつあるが,空間的・時間的なシミュレーション規模の制約が原因となり,数々の現象が実質的に実現不可能のまま残されている.その中の1つに,分子集合体の結晶構造間の相転移現象があるが,著者はその現象を効率良く実現する以下の手法を考案した.
その1つの方法は,Parrinello-Rahmanの定圧MD法におけるMDセルの変形運動の運動量を制御する方法である.この方法は,変形運動の仮想質量をシミュレーション中に大きくすることにより,その時点での変形運動の振幅を大きくし,結果としてセルの変形に伴った結晶構造の相転移が起きるようにしたものである.この方法の利点は相転移後の構造が質量を切り替えるタイミングに依存し,安定・準安定を問わず,種々の未知の結晶構造の探索が可能であることである.
もう1つの促進法は,MDセル変形運動の運動エネルギを制御する方法である,この方法は,セルの形を決める6個の自由度に分配される運動エネルギをセル内部の分子運動に分配されるものに対して充分高温になるように制御することにより,異なる結晶構造間のポテンシャル障壁を乗り越えることができるようにしたものである.この方法の利点は分子系の温度を上げる必要が無いため,結晶の秩序を維持したままで別の現実性のある結晶構造へと相転移できることである.
これらの方法の機能をベンゼン結晶において確認し,それを用いて実験結果の相図の曖昧な部分を補う次の研究を行った.実験では常圧から10GPaまでの範囲で,低圧相の斜方晶,中間圧での不明確な構造,高圧相の単斜晶が観測されているが,シミュレーションの加圧相転移では高圧相の他に積層欠陥を含む高圧相が観測され,それが実験での中間圧相に相当する可能性が高いことを,エンタルピーと粉末X線回折パターンに基づいた議論で示した.

b.分子システム可視化ソフトの開発(松原裕樹)

分子動力学シミュレーションにおいて原子のダイナミクスを動画としてみることは非常に重要であるが、市販のパッケージで無い限り動画を作る作業には手 間がかかることが多い。そこで原子の動きをすばやく可視化するためのソフトHayabusaの作成を行い、Web上で公開した(http:// www.yokoi.appi.keio.ac.jp/hiroki/index.html)。プログラムはjavaを用いてコーディングしたのでさまざまなプラットフォームにおいて無償で使用できることが大きな利点である。
メイン機能は原子座標の時系列データを動画表示するものである。読み込むフォーマットはテキストファイルで1行に1ステップ分のすべての原子座標が書き 込まれている。つまり1行が1つのスナップショットに対応し、これを行ごと順に表示していくことでアニメーションを実現する。これはスペース等で区切られたテキストデータでありExcelなどの解析ソフトなどと互換性があるので編集も容易である。テキストデータを画像データやバイナリデータに変換する 過程が必要なものと比べると、手間とデータ量がかなり削減できる。また、試験的であるが原子の動きをリアルタイムで見る機能もある。
描画速度が遅いなど改善すべき欠点もあるが、ホームメイドレベルのシミュレーションプログラムの可視化を促進させることが期待できる。

c.振幅変調を利用した量子暗号通信プロトコル(秋山祐治)

量子通信における振幅変調を利用した新しい暗号プロトコルを提案した.用いる通信回線は従来の代表的な BB84 プロトコルなどと同じように,本来の情報を送る1本の古典チャンネルと暗号鍵を送る1本の量子チャンネルがある.しかし,送信者側の変調器として振幅変調されたフォトンを発生する送信機を用い,受信者側の復調器として基準時刻からの信号の受信タイミングを計測できるフォトンカウンタを用いる.従って,従来用いられた,偏光板,フェイズシフタ,ビームスプリッタ,干渉系などを用いない方法である.
その量子チャンネルを用いた暗号鍵を送る手順を以下に示す.(1) 送信者は基準時刻に対して2種類のタイミングでフォトンをランダムに送る(乱数を送ることに相当).その2種類のタイミングは時間的に一部重複し,3つの時間領域に分けられる.(重複領域をII,その前後の重複しない領域をI, IIIとする). (2) 受信者は受信フォトンの検出タイミング(I, II, 或はIII)を記録する.(3) フォトンを時間領域IIで検出した場合は,どちらのタイミングで送信されたのかを推定できないので,その情報を捨てる.(4) 領域I或はIIIで検出した場合は,古典チャンネルを通じてそのことを送信者に伝える.但し,どちらの領域で受信したかは伝えず,何番目のフォトンを検出したのかだけを伝える.(5)(4)で送受信者間で共有した乱数について,盗聴されたかどうかの検出とエラーの除去のための誤り訂正を行い,正常な誤り率を達成していれば盗聴がなかったと判断し,送受信者間でその乱数を採用する.
この振幅変調量子暗号プロトコルを従来の他の多くの方法と比較すると,この方法だけ量子状態が2次元ではなく3次元ヒルベルト空間内に展開され,バランスの良い性質を持つという優位性のあることが分かった.

d.カーボンナノチューブの水素吸蔵シミュレーション(植木啓介)

実験と同様にシミュレーションも行われているが,物理吸着のみを考慮する吸蔵シミュレーションにおいて、カーボンナノチューブは分子内振動を無視するモデル(剛体モデル)がよく用いられる。しかしこのモデルには衝突時の水素分子の運動エネルギーを吸収しないという欠点があり,吸蔵率に及ぼすその近似の影響の見積もりが大事であるため,分子モデルとして剛体と軟体を考えて例えば次の例のような条件で検討を行った.
シミュレーションセルは1辺24Åの立方体で固定し、周期境界条件を適用した。セルの中心に直径6.88Å、長さ11.22Åのカーボンナノチューブを配置し、その周りに167個の水素分子を配置した。相互作用ポテンシャル関数はMM3を用いた。水素-水素間の結合伸縮ポテンシャル関数は分子軌道法で計算した。温度は吸蔵実験と吸蔵シミュレーションにおいてよく用いられる80K,時間ステップは0.05fs/stepとした.圧力は制御しない場合(セル固定)と40atmで制御した場合を行った.
結果は,圧力は制御しない場合に1.4倍,した場合に8倍もの大きな差異が生じた.従って吸蔵シミュレーションはカーボンナノチューブとして軟体(フレキシブル)モデルを用いる必要性のあることが分かった.

e.カーボンクラスター生成の分子動力学シミュレーション(新田智昭)

質点系の古典MDシミュレーションによるフラーレン生成を行なった。それは中空構造を持つ分子で、グラファイト・ダイヤモンドに続く第3の炭素同素体といわれ,その構造的・電子状態的な特性から潤滑剤や半導体材料など様々な分野への応用が期待されている。
初期条件として、炭素原子100個を周期境界条件を適用した50Åの立方セルにランダムに配置し,300-3000Kの間の幾つかの温度で一定に制御した。当初は圧力制御を試みたものの、セルサイズの変動が激しいため粒子数・温度・体積一定のカノニカル(NVT)アンサンブルでMDシミュレーションを行なった。炭素間の相互作用にはTersoffポテンシャルを採用し,炭素原子間が1.7Å以下のと共有結合が存在するとした.結果は以下のようである.
(1)温度によるクラスター成長の違い_途中までは似ているが、ある程度大きくなると温度の違いにより成長が分岐している。3000Kの場合のみ中空構造のクラスターが生成した。300Kでは反応が遅すぎるため検討の対象外、1500Kは平面状、5000Kは乱雑な構造へ成長した。
(2)希ガスによる反応の促進_ヘリウムを入れた場合にクラスター成長が格段に早くなった。これはヘリウムからのファンデルワールス相互作用により、炭素同士が引き合うからである。炭素間のファンデルワールス相互作用は、Tersoffポテンシャルとの連続化が困難で導入を断念したため,希ガスの有無による反応速度の違いが顕著に表れた。
(3)中空クラスターの生成機構_得られたフラーレン類似の中空クラスターは、乱雑な構造のクラスターと鎖状クラスターの合体で更に大きい乱雑クラスターが生成し、それが構造緩和して中空構造へ至った。計算時間の都合から密度を実際の現象より相当に圧縮して行なっているため、乱雑なクラスターが緩和する前に鎖状クラスターと衝突している。

h.分子ミクロ運動からみたポテンシャル関数(横井康平)

ベンゼン分子は結晶中で回転している.中性子線回折の実験結果の解析などから,その回転は6回回転対称軸まわりのステップ状の回転であるとされているが,分子シミュレーション結果からもそれが確認される.しかし,その回転速度は用いるポテンシャル関数に大きく依存し,結晶構造にも敏感に依存するはずである.そこで,一般に良く利用されるポテンシャル関数であるAMBERとOPLSを比較対象として,自作ポテンシャル関数による回転運動と結晶構造の再現性の検討を通じて一般的な考察を行った.AMBERとOPLSの非結合ポテンシャル関数はクーロン相互作用を含むLJ型,自作型(POTXとPOT)は LJ型の代わりにバッキンガム型であり,ファンデルワールス相互作用の電荷補正因子を含む.
結果は,
(1) AMBERとPOTXの形は比較的良く似ているが,AMBERの結晶構造結果はa軸とc軸の大きさが低温で入れ代わり,結果は大きく異なる.それは原子上の有効電荷の違いに原因があると思われる.(水素で , , , )
(2) OPLSとPOTXの形は似ていないが,回転速度の特性は良く一致する.しかし,両者は電荷や結晶構造結果も異なるため,偶然の一致と思われる.
(3)POTXとPOTの比較では,結晶構造の違いは大きくないが,炭素間ポテンシャルの谷の曲率が違うため回転速度が1桁近く異なる.
ポテンシャル関数の谷の位置が結晶構造を決め,谷の曲率が分子運動を決めるという大雑把な傾向は確認される.(谷の深さは,格子エネルギを実験値に拘束するため谷の曲率に連動する)しかし,分子配向がポテンシャル関数に敏感であり,格子定数にも影響を与え,分子回転に対するポテンシャル障壁はそれらの協調作用で決まる.従って,結晶構造の再現性を最優先し,そのうえで分子運動を良く再現するようにポテンシャルの谷付近での形を分子軌道計算結果を参考にして工夫する必要がある.

研究発表

  • 2002年12月 横井康平
    ミクロの分子運動からみたポテンシャル関数の評価
    第16回分子シミュレーション討論会, 134S,新潟
  • Y. Yonetani and K. Yokoi,
    Energy control of MD cell for the promotion of crystal phase transitions,
    Molecular Physics, Vol.100, No.24, 3915-3919 (2002).

学位論文

博士論文

  • 米谷佳晃:分子動力学シミュレーションにおける結晶構造相転移の促進法

修士論文

  • 秋山裕治:振幅変調を利用した量子暗号通信プロトコルの提案および研究

学士論文

  • 植木啓介:カーボンナノチューブの水素吸蔵シミュレーション
  • 新田智昭:カーボンクラスター生成の分子動力学シミュレーション

進路

慶応義塾大学大学院,科学技術振興事業団ポスドク,三菱電機,他