究極のシリコンコンピュータを目指して

伊藤公平研究室(慶大物理情報工学科 )では個々の原子で計算を行う究極のシリコンコンピュータの実現に挑んでいます。

Itoh Group at Keio University, Japan

現在のナノテクが「特定元素」を原子レベルで制御することに終始する中、伊藤チームは更に一歩進んで特定元素の「同位体」を原子レベルで制御する半導体同位体工学を提唱した。 例えば天然シリコンは28Si (92.2%), 29Si (4.7%), 30Si (3.1%)の三種類の安定同位体の括弧内に示した濃度で常に構成されるが、 伊藤チームはこれら安定同位体の質量の違いや、核スピン状態(29SiのみがI=1/2を有し、28Siと30Siは核スピンを持たない)の違いが物性に及ぼす影響を次々と明らかにした。 世界に先駆けて28Si, 29Si, 30Si単結晶成長と[Jpn. J. Appl. Phys.42, 6248 (2003)]、 異なる同位体を原子一層ずつ積層する同位体超格子の作製と評価[Appl. Phys. Lett. 83, 2318 (2003)]に成功し、 それらを利用して先端シリコンICの開発に不可欠なプロセスシミュレータの予測精度向上につながるシリコンナノ領域における拡散や化学反応の詳細を明らかにしてきた [Applied Physics Express, 1, 021401 (2008), J. Appl. Phys.103, 026101 (2008), Phys. Rev. Lett. 98, 095901 (2007), etc.]さらに長期的な視点からは、 伊藤チームは半導体工学と新規評価手法の開発を融合させながら以下に述べるドーパント等の量子現象の解明を行っており、本申請内容はそれらと密接に関わっている。

伊藤チームは2002年にシリコン単一原子にビット情報を読み込み計算をさせる新しいコンセプトを発表した[Phys. Rev. Lett. 89, 017901 (2002)] 。 その素子コンセプトの最新版をFig. 1 [伊藤による解説論文 Solid State Comm. 133, 747 (2005)]より転写]に示す。 ここでは一列に並ぶ個々の29Si 核スピンがビット情報を量子力学的に格納し計算を行う。 伊藤チームはこの素子構造の有効性と実現性を示すために以下の基礎研究を実施した。 まず、固体中で測定されたコヒーレンスとして圧倒的に世界最長となる29Si核スピンT2=25秒を室温で得ることに成功し [Phys. Rev. B 71,014401 (2005)]電子スピンのコヒーレンスも十分に長いことや電子スピンと29Si核スピンとの相互作用の詳細を明らかにすることに成功した[Phys. Rev. B 70, 033204 (2004)]。 シリコン表面構造を原子レベルで理解し、制御することからFig.1に示す29Si列の作製にも成功した[J. Appl. Phys. 101, 081702 (2007), Phys. Rev. Lett. 95, 106101 (2005), Appl. Phys. Lett. 87, 031903 (2005)]

実用化に相応しい、十分に長いスピンコヒーレンスと素子作製技術が確立された。 次に必要となるのがスピン初期化(すべて同じ状態にセットする)とスピン読み出し法の開発である。 スピン初期化に関しては光学的手法 [Phys. Rev. B 71, 235206 (2005)] と不純物電子を通した動的核分極法の開発[Phys. Rev. B78, 153201 (2008)と80, 045201 (2009)]を行った。 核スピンの状態制御はNMRを用いて実施できることを示した[Phys. Rev. B68, 054105 (2003)]。 そして31P 核スピン状態の読み出しと、それを利用して29Si 核スピンを読み出すことが光学的に可能であることを超高分解能フォトルミネッセンス励起分光を用いて示すことに成功した[J. Appl. Phys. 101, 081724 (2007), Phys.Rev. Lett. 97, 227401 (2006)]。 ここでは核スピンと電子スピン状態を電流とし読み出すことにも成功している。 さらに最近では同様の光学手法を用いて超高速に核スピンを初期化て検出する手法も見出した。 [Phys. Rev. Lett. 102, 257401 (2009)]低磁場(B<200G) 中において動作する電気検知磁気共鳴(EDMR)装置の製作を行い量子情報処理に不可欠なベル状態(エンタングルメント)の生成に成功し、 電子スピンと核スピン状態の電流検知にも成功した [Phys. Rev B投稿中]

以上要するに、伊藤チームの最近の研究は、10年以内の短期的な視点からシリコン産業の発展に寄与するナノ領域における拡散や化学反応の解明と、10年以上の長期的な視点に基づくシリコン量子スピントロニクスに焦点を絞ってきた。

../fig. 1
Fig. 1: 29Si核スピンを利用したシリコン量子情報処理装置。 29Siがビット操作を行い、その端に位置する31P核スピンと電子スピンが初期化と読み出しを行う。

低磁場電気検知パルス型磁気共鳴装置(Pulsed low-field EDMR)

慶大チームは200G以下の磁場で動作するEDMRの開発に最近成功した。このような低磁場ではリンドナーにおいてゼーマン効果が無視できるほど小さくなり、 結果として超微細相互作用に基づく31P核スピンと電子スピンのエンタングルメント(|↑↓>+|↓↑>のベル状態)が自動的に生成される(Fig. 2)。

通常の磁気共鳴では信号強度が磁場の2乗に比例するために、このような低磁場でのスピン状態検知は不可能とされた。 そこで伊藤チームが電気的検知を可能とする装置を作製したところ、Fig. 3に示すとおりのベル状態を含む様々な量子遷移の観測に世界に先駆けて成功した[Phys. Rev. B 80, 205206 (2009)]。 また200G以上の磁場中では電子スピンのゼーマン分離が支配的になり、結果として|↓↓>, |↑↓>, |↓↑>, |↑↑> の4つの電子スピンと核スピンの組み合わせ状態に分かれることも示した。 現在の慶大の低磁場EDMRではマイクロ波の連続(cw)照射のみで動作が確認されているが、更なる量子状態の解明と制御のためには照射するマイクロ波を短パルス化することが不可欠である。

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Fig.2: 200G以下の低磁場におけるリンに束縛された電子スピンと核スピンの量子準位
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Fig. 3: 慶大の低磁場EDMRで最近観測されたFig.2に対応する量子遷移の照射RF周波数依存性